中心軸クラブに入会してから5ヶ月が経過。
2020年6月4日〜7月3日の期間をシェアすると、以下3つの項目に分類できる。
- Nizi Project の動画を観ていて「自分が自分らしく在る」ことの大切さを再確認した
- 意外な観点から「良い」「悪い」という偏った視点に気づくことができた
- 自分の周波数を整え、進化させる為に「精神」と「肉体」のバランスを意識し強化した
ということで、今月も中心軸クラブに所属している DAisuke の個人体感や体験をシェアしていこう。
目次
Nizi Project の動画を Hulu で観て気づいたこと
Hulu で大好きなバラエティ番組「しゃべくり007」が視聴できるようになったことをキッカケに、毎月サブスクリプション登録するようになった僕は、「ヒロの座談会」でヒロさんが Nizi Project を Hulu で観ているという話を聞き、さっそく座談会が終わったあとから視聴開始。
Nizi Project が Hulu で配信されていることは知っていた。注目され、ランキング上位表示されているのを知りつつも、とりあえず「新しく・人気のあるもの」を敬遠するのが僕という人間である。
「ナチュラルさがない」とは、すなわち「本当の自分ではない」ということ
Niji Project のなかで最も魅力的に感じ、学びが大きかったのが J.Y.Park(パク・ジニョン)の発言だった。
オーディション時に応募者に向けて発するメッセージの中でも特に印象的だったのが、「ナチュラルさがない」という指摘。
この「ナチュラルさがない」と指摘された応募者の過去を紐解いていくと、多くの場合が過去に芸能活動を行っていたということ。
しかし、何らかの理由で解散したり、デビューできなかったりなど、精神的に辛い方向に偏っている人が見受けられた。
芸能活動をしている人たちのドキュメンタリーなどを観ると気づくことがある。
それは、「自分ではない何かになろうとしている人」が意外にも多いということ。
Niji Project に参加するメンバーの中でも同じように「自分ではない何かになろうとしている人」はいた。
その多くは、自分のアイデンティティに目を向けるのではなく、他者や業界イメージとの比較によって自身を形成させていたように想う。
この点については、世の中のマーケティングがそうさせている面も考えられるので致し方ないと考えることもできる。
Niji Project の参加メンバーを例にすれば、まだ若いので柔軟性があり、軌道修正しやすい。それは、合宿の成長を観ていれば全員から見受けることができる。
スタート時がどんな状態であれ、この短期間の合宿で本当の自分をベースに表現できるように変われる理由は、「積み重ねてきた想念がまだ薄いから」だろう。
言い換えるなら、「思い込みが弱い」という言葉が適切かもしれない。
しかし一般社会に視点を切り替え、30代〜40代後半までを視野に入れて「積み重ねてきた想念」について考えてみたらどうだろう?と自問してみた。
10代の柔軟性と比較した場合、間違いなく劣っているだろうし、修正していくことは簡単ではないように想った。
経験値に違いがあるのは勿論、積み上げてきた想念にも違いが生じているはず。
だからやっぱり、良いことも悪いことも「お祓い」することは大事な習慣なんだなと実感した。
そして、「自分の想念は、過去のどんな出来事と紐付けされているのか」に気づく習慣を取り入れることの大切なも改めて実感した。
つまり、人生の記憶を辿り、思い込みの種となっている事象に気づき、別の角度から視点を加えるスキルが欠かせない。
自分もそれなりに様々な経験をしてきて、自分っぽくないことも沢山経験してきたし、自分のアイデンティティから かけ離れた状態になった経験もある。
だから、「本当の自分」ではない感覚もよくわかる。
でも、やっぱり最終的には「自分が自分らしく在る」こと以外は、自分の命を生きる上で必要ないんだな。ということを Niji Project を通じて学ぶことができた。
そのうえで「努力」や「態度」が大事な要因になるのだと想う。
無事にデビューしたメンバー以外の方々も本当にお疲れさまでした。
そして、皆さまの素晴らしい表現に大変感謝しています。
渡部建の件から学んだこと
6月の出来事のなかで、結構引っかかったのが「渡部建」の件だった。
今年の2月くらいから「渡部の歩き方」を1話から最終話まで4サイクルにわたって視聴していた。
料理や日本酒にも興味あったし、きちんと職人をフォーカスしている点にも好感を持っていた。
強いて言えば、田中ディレクターのデリカシーのなさが腹立たしかったが、途中から田中ディレクターにピントを合わせなければ気にならなくなるというスキルを習得してからは問題視しなくなった。
話を戻そう。
今回の件で何が引っかかったのかというと、好きで毎日のように視聴していた「渡部の歩き方」が今回の騒動によって、これまでとは違うフィルターがかかったということ。
不倫という情報だけならまだしも、具体的な内容までも報道されていたので、立場上その選択はどうなのかなという疑問が湧くようになっていた。
ただ、僕はどんな内容であれ、報道された内容の全てが真実であるかに疑問を抱き続けるタイプだ。
なぜなら、編集者やライターのクリエイティビティが上乗せされているケースが考えられるから。つまり、読者の想像を掻き立てるような表現をしている可能性もあるということ。だから全てを鵜呑みにしているわけではない。
とはいえ、本件に関してはそこまでの相違はないと想うが。
その疑念を持ちながら「渡部の歩き方」を視聴していると、以前のように自然体で視聴することができないように変わっていた。
僕はこの状態に変わったときに「なぜ以前と同じように視聴できないのだろう?」と疑問を持つようになった。
「渡部の歩き方」というコンテンツそのものは、渡部建という人が普段何をしていようが関係ないのに。番組として成立していれば良いのでは?と。
その時ようやく、新しいフィルターが加わったからだということに気づいた。
職人に対して、食に対して、敬意のある姿勢で向き合っていると想っていた渡部建という印象から、知名度がある立場にも関わらず、不倫、性行為に手を出していたという印象が新たに加わったのである。
これもいわゆる「パラダイム・シフト」という現象の1つ。
つまり僕は何が引っかかっていたのかというと、渡部建という人が起こした事象に対して引っかかっていたわけではなく、その偏ったフィルターで観ていた自分自身に気づき、ショックを受けたのである。
それが拭えずに引っかかっていた原因になっていたようだ。
「良い」「悪い」という偏った視点
と同時に、芸能界で活躍している人やインターネット上で観るインフルエンサーの存在なども含めて考え直してみた。
僕は、「自分が好感を持って観ている人たちを、どのようなフィルターを通して観ているのだろうか?」と。
そう考え直してみた際に、結構偏った見方をしていたのかもしれないと気づいた。
「好感の持てる部分」「良い部分」にしか目を向けていなかったり、好感とは反対の視点で観察する視点を設けていなかったりなど。考え直す良い機会になった。
そういう見方を少なくともしていたということは、関わる人間関係全般でも偏った見方をしている可能性が高いということ。
この考え方を元に、一般社会全体に目を向けて考えてみると結構ゾッとした。
何がゾッとしたのかというと、世の中の多くの人々が「イメージ」に洗脳されているということに気づいたからだ。
例えば、NHKの朝ドラで人気が急上昇した役者がいたとする。
彼ら彼女らが評価されたのは、その役柄を通じて演じ、表現された1種のフィルターでしかなく、その人自身すべてを知った上での評価ではない。
にもかかわらず、その人のすべてが素晴らしいかのように注目し、賞賛する。
このように人は常に錯覚していると言えるし、一方の視点でしか物事を捉えられていないということがわかる。
つまり、僕もこの視点で「渡部の歩き方」を視聴し、視覚と聴覚から情報をインプットし続けた結果、偏った視点だけに依存してしまっていたという結論にまとまった。
渡部の件を通して最終的に行き着いた結論は、「渡部は何をしても渡部」ということ。
今回の件を受け入れられずに引っかかっていた僕からすると、自分の想念にまだ「こうでなければならない、いけない」という “正しさ” があったということに気づくことができた。
したがって、この気付き以降は「渡部の歩き方」を問題なく視聴できるように変わった。
最終的には「どれも間違ってなんかいない」
不倫はどこからが不倫なのか?
なぜ、今回の件は批判されるのか?
この自問による自答は、大きく分けて2つある。
制作・演者を含む「発信者側がイメージを売りにしていること」が1つ。
それから視聴者である「受信者側の多くが、イメージを元に良し悪しを判断していること」の2つが考えられる。
だから作品の役柄に好感を持てばその役者を好きになるし、役柄に悪感を持てばその役者を嫌いと判断してしまうのである。「役を演じている」のにもかかわらずだ。
このような考えから、演者が築いた良いイメージと反転するような出来事が起きると視聴者や関係者(制作会社・スポンサー)は批判するのである。その行為は、表面的には対象者(演者)を批判しているように見えるが、実は自分自身を批判しているのである。
「批判する」という行為は、対象者(今回の件で例えると渡部)に対して批判しているように考えられがちだが、実はその対象者を偏った角度からしか観ることができずに好感を持っていた自分が許せなくなり、批判しているのである。
要するに、「おまえに少しでも好感を持って観ていた俺たち、私たちの想いを返せー!!!」と想っているのである。だから、反転して「裏切り」という認識に切り替わり、批判するのだ。
でもそれはある意味仕方がない。
なぜなら、タレントとして演じている以上視聴者は、その印象を元に演者の見方を決めてしまうからだ。
演者がプライベートで普段作り上げているイメージと違う出来事を起こせば、やはり怒りが芽生えるのは至極当然のこと。
反対に、妻である佐々木希の対応も含めて深く考えみた。
世間の見方としては、報道後の対応に好感を持つユーザーが多かったようで佐々木希の高感度は上がったみたいだ。(これも結局偏った見方をしているわけだが…)
その理由はおそらく、イメージ通りの対応をしたからではないだろうか。
宇宙の視点で考えると、結婚するということは「2人でワンセットになる」ということなので、陰と陽、プラスとマイナス、ポジティブとネガティブという視点で本件を観察すると「中立 = ニュートラル」が実現していることがわかる。
つまり諸々含めて、渡部建のイメージは急降下したが、佐々木希のイメージは急上昇したというわけだ。
ワンセットの視点で観ると「中立」を保っている。
今後、表には情報として出てこないかもしれないが、夫婦愛が更に深まるかもしれないし、悪くなることだって考えられる。いずれにしても、渡部健自身が大きな変化を迎えるキッカケになっているはずだ。
だから短期的に物事の善し悪しをつけるなら「悪」という認識をする人が多いのかもしれないけど、中長期的に観れば「善」でもある。
それは世間が判断することでもなければ、判断できることでもないので、本人の意志に依存するが、いずれにしても僕は今後の渡部建がどんな成長を遂げるのかを楽しみにしている。
上がったら下がる。下がったら上がる。
誰の人生を切り取ったとしても、この節目は必ずあるのだから。
なぜ、中心軸クラブの入会後、筋トレを強化する流れになったかが解った
筋トレをハードにし、習慣化してから3ヶ月ほど経過。
やってみてよかった点は、4つある。
- 筋トレ後のホルモンによって、日々充実と幸福度が増す
- 精神と肉体の中心軸が強化されているのがわかる
- 人生において一番と言っていいほどの利益があると実感
- 食事だけでは健康を語れないことが腑に落ちた
筋トレ後のホルモンによって、充実と幸福度が増す
ハードトレーニングをすると
- テストステロン
- 成長ホルモン
- エンドルフィン
などが体から分泌されるので、充実と幸福を日々感じることができている。
定期的にハードにしていく必要があるものの、目指す状態があることは面白い。
自分が目指す状態に日々近づいていくも、遠ざかっていくも、すべて自分次第。
この駆け引きも自分の意識進化に影響している感覚があるので、楽しんでいる。
Niji Project で J.Y.Park(パク・ジニョン)が仰っていたように、基本的なことを地道にコツコツやることで、自分の好きなことを長く続けていくことができる。という発言には共感せざるを得ない。
精神と肉体の中心軸が強化されているのがわかる
初めのうちはできることが限られているが、徐々にレップスを増やしたり、負荷をかけられるようになってくると、当然、キツい。。。
しかし、ハードな「レッグレイズ」や「スクワット」ができるようになってくると、ウォーキングしているときの骨盤は以前と比較にならないほど安定していく。
そして肉体だけではなく、精神的にも安定する。
つまり、精神と肉体がブレにくくなる。
ということは、すなわち「中心軸が整っている」ということ。
筋トレは以前からも行っていたけど、ハードトレーニングは中心軸クラブに入ってから引き寄せられるかのように様々なコンテンツに出会うことができたので、辿り着くべくして辿り着いたように想っている。
人生において一番と言っていいほどの利益があると実感している
20代後半〜30代前半では、主に「お金・ビジネス」が人生のトップに位置づけられていた。
しかし今では、お金もビジネスも以前ほどのめり込むことはできない。
その違いはやはり、健康な精神と肉体があってこそ全てを構築できることが腑に落ちたからだと想う。
だから現在は、「食」「健康」が人生のなかで価値が最も高くなっている。
とはいうものの、しっかり FX は継続していて、これまでにない落ち着いたトレーディングが出来ているほか、今の所は安定的に元本を増やしていけている。
トレーディングについては、また自分のなかでより安定した状態が築けたら『DAisuke 限定|特別オファー』などでシェアしていく方向で考えている。
食事だけでは健康を語れないことが腑に落ちた
2018年から学んできた健康分野。主に食全般では、「体内に摂取するもの」を対象に実践してきた。
その結果、食後に眠くなることは全く無くなったし、無駄な脂肪がつくことも無く、日々のパフォーマンスは向上した。
身体のパフォーマンスが高まると脳の回転もよくなるので、仕事をしたり、アイディアが閃いたりすることにも良い効果をもたらしていた。
しかし筋トレを本格化してからは、より身体パフォーマンスは高まったし、生きている中でのストレスもかなり削減できるように変わった。
健康や運動に対しても、僕の認識は常に偏っていたということに改めて気づくことができた。
加えて「健康の定義」も変わった。
今の時代では、一般に植物性を勧める考えが浸透しているが、人間の肉体には植物性と動物性の両方のバランスが中立に保たれていないと健康なカラダ作りはできないということが解った。
僕は近年、植物由来の食に偏っていた。完全にヴィーガン食というわけではないが、ヴィーガン食だけに偏った生活をすることが必ずしも “健康的” とは言えないということを理解した。
この偏った解釈は、筋トレをしてカラダのことを学び始めてから気づくことができた。
これまでは、「体内に摂取する食品」や「臓器」などを主に学習してきたが、「筋肉」が人生のなかでどれほど重要な役割をしているかは理解できていなかった。
特に高齢になるほど筋力の低下が進行していく。筋力トレーニングを継続していれば、そのリスクを軽減できるだけでなく、体内の健康面においても大きな利益をもたらせてくれることを確信できた。
中心軸クラブ 5ヶ月目をまとめると
中心軸クラブに入会してから5ヶ月目となる2020年6月4日〜7月3日の期間をまとめると、
- Nizi Project の動画を観ていて「自分が自分らしく在る」ことの大切さを再確認した
- 意外な観点から「良い」「悪い」という偏った視点に気づくことができた
- 自分の周波数を整え、進化させる為に「精神」と「肉体」のバランスを意識し強化した
以上の経験から、5ヶ月目の期間をまとめると「周波数を整え、精神と肉体の強化を意識した」という内容になる。
2020年7月4日〜8月3日は、どんな体験をしていくのか楽しみである。